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STORY
インストラクターになるまで:
仲井果菜子編(1)

この10年を振り返ってみました
こんにちは!産後セルフケアインストラクターの仲井果菜子です。インストラクター養成チームのリーダーもしています振り返ると11年前、第一子の産後に住んでいた熊本でマドレを知り、第二子を出産した沖縄で晴れて認定インストラクターとして教室開講し、5年前に越してきた現在地・東京で今の職業人としての活動基盤をコツコツ築き上げてきました。なかなか移動の多かった10年でしたが、いま一度振り返り、熊本・沖縄と、東京から離れた「地方」に住みながら、いかにして鍛錬を行い、仲間をつくり、インストラクターになることができたかという道筋について書いていければと思います。
ちなみに…「オンライン」つまりweb上のツールを活用することで、全国どこにいても課題への取り組みを通じてインストラクターを目指せるようになった現在とは違い、11年前当時の養成コースは、基本的に「通い」での受講が必須。マドレボニータもNPOになる前で、団体としての「変遷期」でもありました。今は、「全国どこにいても、インストラクターになれる」ための仕組みは整備されていますが、同時に、インストラクターを目指す上で本質的に必要な要素や、地方在住でインストラクターを目指す上での本質的なハードルについては、当時も今も共通する部分があるなあと感じています。
というわけで、ここでは過去の「マドレジャーナル」(マドレボニータの正会員さんにお届けしている機関紙です)から引っ張り出したコラムをベースに加筆したものを、数回にわけてお届けしたいと思います。
マドレボニータ「以前」
〜何かを探していた〜
私の第一ステージ、マドレボニータとの【出会い&飛び込み】から、お話ししたいと思います。産後2ヶ月のときに夫の転勤で東京から熊本に引っ越してからしばらく、私は「何か」を探してうろちょろしていました。出産をきっかけに、新たな仕事と出会いたい…最初のうちは意識の表面に上がっていませんでしたが、思い返せば確かに、そういう「欲求」を持っていました。
妊娠前から在宅でのフリーランスの翻訳(分野はIT!ルータがどうとかプロトコルがどうとか…自分ではほとんど意味がわかってない文章をなんとか翻訳していました^^;)をしており、産後しばらくしてそのお仕事を再開したのですが、生後5ヶ月になる赤ちゃんはまだ保育園に預けておらず、ハイハイする傍らでPC作業…。「これは、無理」「在宅勤務だから、子どもと一緒にいながらできるとか、まじ幻想」「仕事のスタートは、まず、預けてからだな」って、思いましたよ、ええ…。また、なんというかこの仕事を本気で続けていくつもりがない自分にも気づいていました。結局、育児を理由にしばらく翻訳会社からのオファーをお断りしていたら、徐々に仕事は入ってこなくなりました。フリーランスの世界、当たり前ですよね。
空いた時間で、子どもを夫や託児所に預けてフラワーエッセンスの講習会に行ったり、母親自身がボランティアで運営するコミュニティサイトのスタッフとして活動したりと、あれこれ動き回りました。そんな日々の中で、気づけば、「出産」「子ども」「癒し」「からだ」「新しい職業」というテーマで情報収集をしていたようです。そして、「癒しの仕事」について調べるうち、結局は「自立支援」というスタンスが自分にとっては一番腑に落ちるなあ…という結論に達していました。
マドレボニータとの出会い!
インターネットを通じてマドレボニータのことを知ったのは、産後6ヶ月頃のことでした。その頃、ちょうど家族で沖縄旅行をしたのですが、ラグナガーデンホテルで夕飯を食べながら、「マドレボニータっていう団体があってね」「こんな力強いメッセージを持って活動しているの」「私、マドレのインストラクターになりたい!」と、熱く宣言した記憶があります。今考えると、この時点ではまだ、クラスにも通ってないし、マドレのコミュニティのどなたとも会っていないのに、ずいぶんあつかましいというか、痛々しいというか、前のめりな奴ですね。でも、そんな宣言をした場所である沖縄で、数年後には認定インストラクターとして仕事をすることになるのだから、人生って不思議です。
さて、「マドレのインストラクター」(その頃の自分にとっての呼び方)の一番の魅力は、なんといっても「からだを動かすこと」。私にとってはこれが一番大きなものでした。妊娠前までダンスをやっていて、産後3ヶ月のときには子どもを一時保育に預けて熊本市内のダンススクールに参加したぐらい、「体を動かすこと」に飢えていた自分…。すべての産後女性の心身の健康、というものすごく質実剛健なゴールを掲げつつ、腰を振って踊れるからだを作る。そういう、職業としての「振り幅」に魅力を感じましたし、「身をもって体をつくる。自分の体ができてなくては、何をいっても説得力がない」というこの職業のシビアなあり方に、ものすごーく合点がいったのです。理屈だけじゃない、かといって筋肉マッチョだけでもない(笑)、知性も身体も同時に磨き続けることができる職業。文武両道、バランスのとれた、エキサイティングな「新時代の職業」だと思ったのでした。
興奮冷めやらぬまま、マドレボニータの代表・吉岡マコインストラクターにお手紙(!)を書きました。今なら、Facebookメッセージとか、メールとかですよね。ええ、手紙です、手紙。文章に添えてハイハイをし始めた長男の絵を描いたら、死にかけのゴブリンみたいな気持ち悪い絵になってしまい、どうしようと思いつつそのまま投函した覚えがあります(←投函するのかよ!)。マコ先生がそのお手紙を今でも取っておいてくださり、正確な日付がわかったのですが、2014年5月20日の頃でした。第一子の出産が2013年11月19日だったので、ちょうど産後半年だった頃ですね。
次回は、熊本にいてマドレボニータに通いたい!でも近くに教室がない…どうすれば?そのときの「大きな一歩」について書きたいと思います。